研究講座

チェアサイドの口腔内科学A

−バイオフィルム感染症としてのう蝕・歯周病治療−

松本歯科大学歯科薬理学講座教授

  王宝禮

第2章 患者さんに説明できるバイオフィルム学

1.バイオフィルム感染症としてのう蝕・歯周病

歯がある場合,ヒトの口腔内には3百種を超える細菌種が数十億個も住み着いています.口腔清掃(歯ブラシ)が悪い場合,その数は1兆個近くになってしまいます.

う蝕・歯周病はひとつの原因細菌だけで起こるものではなく必ず複数の細菌が存在し,病原性のバイオフィルムを形成します.バイオフィルムを形成する細菌には,緑膿菌,黄色ブドウ球菌,肺炎桿菌,肺炎球菌,う蝕原因菌といわれているミュータンス連鎖球菌,および細菌表面に莢膜多糖やリポ多糖(LPS)をもつ歯周病原因菌といわれているグラム陰性嫌気性桿菌があります(表1).

        表1

バイオフィルムが形成される時には,まず唾液や歯肉溝から出る組織液に含まれる無菌性の糖タンパク質に由来するペリクル(獲得被膜)という膜が形成されます(図1).

             図1

歯ブラシを怠った場合など,う蝕・歯周病の原因菌が歯あるいは歯周ポケット内の固相面のペリクルを足掛かりに付着し,マイクロコロニーを作り,やがて病原性のバイオフィルムが形成されていきます(図2).

             図

う蝕の場合は,歯の表面でう蝕原因菌であるS.mutansが産生するグリコカリックスで覆われたバイオフィルム内は細菌と砂糖が出会うかっこうの場でもあります.すなわち,細菌と砂糖との代謝産物がバイオフィルムをより強固に歯の表面に定着させ,歯の局所で酸が産生され,エナメル質が溶解され虫歯つまりう蝕が進行していくのです(図3).

歯周病の場合は,歯周ポケット内で歯周病原因菌によるバイオフィルムが形成され,バイオフィルムより放出された細菌が浮遊し,歯肉上皮に付着し,侵入します.細菌の刺激が持続すると歯肉の中で傷害を与え,局所の免疫系を壊し,やがて骨を溶かす細胞である破骨細胞をバイオフィルムは歯周組織内にある好中球やマクロファージなどの免疫作用の働きと組織のターンオーバーによって形成されました.組織内では破骨細胞が活性化し,歯槽膿漏つまり歯周病が進行していきます.

        図

ここまでのお話をまとめてみますと,デンタルプラークとは,細菌が固まった集積物であり歯の汚れといった総称したものと思われます.一方,バイオフィルムとは,それらの細菌が産生したグリコカリックスと言われる糖タンパク質で囲まれた複数の細菌の生活集合体と言えます.

実際の口腔内では,デンタルプラークが時間をかけ成熟すると,歯などの固相面に強固に結合します.その段階で,細菌群はグリコカリックスを産生し,バイオフィルムの状態となります.すなわち,患者さんに説明する場合,歯ブラシでとりやすいものをデンタルプラーク,とりづらいものをバイオフィルムと分けて考えてもよいのかもしれません(図4).

                図4

さて,歯肉縁上のプラークは口腔内の上皮の残渣や口腔内細菌の産生した不溶性グルカンなどから構成されています.例えば,歯垢染色液であるエリスロシンはアシッドレッド51と呼ばれるものが色素成分であり,この色素はタンパク質を染めるといわれています.ミュータンス菌の産生した不溶性のグルカンは構造的に染色されにくく,つまりミュータンス菌の産生したα-13不溶性グルカンはアシッドレッドでは染色されません.従って,口腔内のプラーク全てが染色されているわけではないのです.また,バイオフィルムの一部は染め出し液では染め出されません.従って,歯科医師・歯科衛生士によるPMTC(professional mechanical tooth cleaning)が必要となります(図5).

図5 染まる・染まらないバイオフィルム

2.口腔バイオフィルム感染症による全身疾患

最近の研究から口腔内でバイオフィルムが原病巣となり,バイオフィルムから産生した細菌が口腔から気管を通じて肺に入り,肺から血管内入り込むことによって二次的に全身疾患を起こすことがわかってきました(図6).

図6 バイオフィルムから産生する菌が全身疾患を引き起こす

 

口腔内細菌の特徴のひとつとして,組織に対して非常に付着する能力が強く,バイオフィルムから産生した蝕と歯周病の病原菌が心臓弁膜などにもへばり着いて増殖して,細菌性心内膜炎を起こしてしまうことがわかってきました.さらに歯周病の原因菌は共通してリポ多糖(LPS)という内毒素をもち,その内毒素が歯肉溝から血流中に入り込み,冠状動脈疾患,心疾患,心筋梗塞の発作といった循環障害を起こします.また,肺炎は我が国では死亡原因の第4番目で,65歳以上の高齢者に限ってみるとトップを占める感染症です.口腔・咽頭の細菌が知らぬ間に肺に吸引されて不顕性の肺炎を起こします.健康な状態では,気管支や肺にまで運ばれた細菌は肺胞に存在する食細胞,特に肺胞マクロファージなどの免疫細胞に食べられて殺されるのです.ところが,高齢者などの易感染性宿主では,感染防御の働きが低下してしまうため,肺に達した細菌が増殖して肺炎を起こしてしまうのです.このような現象を口腔ケアとして歯科医師,歯科衛生士が広めていかなければなりません.また,う蝕や歯周病の原因菌が糸球体基底膜の上に沈着したりすれば,抗原抗体複合物が形成され,アレルギー反応の結果,糸球体腎炎が起きてしまうのです.さらに,細菌が関接に付着すると炎症が起き,破骨細胞が活性化され,関接炎が起きてしまいます.この他にも口腔内のバイオフィルムが原病巣となり,全身に影響を与える疾患は私たちの想像する以上に多いのです(表2).

        

表2 バイオフィルム感染症による全身疾患

 先生方の診療室では,「自分は毎日きちんと歯を磨いているけれどもう蝕や歯周病になりやすい」という患者さんと遭遇するケースが多いと思います.う蝕や歯周病の原因は不十分な歯磨きが原因であることは否めません.つまり,第一に歯に付着したバイオフィルムを除去しない限り,蝕や歯周病は予防できないわけです.従って,バイオフィルムが形成された状況がう蝕・歯周病の疾患の始まりということになります.つまり,この段階が感染の成立と考えられます.即ち,う蝕・歯周病の症状がなくてもバイオフィルム形成の段階で保険が適用されると考えていいと思います.そのため,バイオフィルムを理解する歯科医師や歯科衛生士の専門家によって,定期的に科学的な根拠に基づく,口腔内のメインテナンスを行ってもらうことが重要になるわけです.

 さて,1990年代より医療界に普及したインフォームドコンセントの概念のはじまりは,「患者さんへの説明と同意」でありましたが,2000年に入りその概念が,承諾のない医療の禁止,すなわち「納得医療」に変化しつつあります.こうした背景のなか,皆様が日々の臨床で患者さんと向かい合う時に,これまでとりあげました口腔バイオフィルム感染症としてのう蝕・歯周病の考え方がお役に立てれば幸です.

 次回から,バイオフィルム感染症としてのう蝕・歯周病に対する具体的な治療法についてお話を進めます.


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