研究講座

チェアサイドの口腔内科学@

−バイオフィルム感染症としてのう蝕・歯周病治療−

松本歯科大学歯科薬理学講座教授

  王宝禮

図1 未来をみつめて

第1章   患者さんに説明できるバイオフィルム学 

はじめに:口腔内科医の時代

2005年の歯科医療界はどんな世界になるのでしょうか.まず,口腔内の二大疾患であるう蝕・歯周病がバイオフィルム感染症であり,生活習慣病であり,遺伝子病であるという認識が社会に定着していくと思います.我が国の厚生労働省により発表される歯科疾患実態調査では,う蝕数は減少傾向にあり,歯周病は増加傾向にあります.やがて歯周病の治療法や予防法が,さらに確立された場合には,歯周病も減少傾向を示していくものと考えられます.

また,興味深い報告のひとつには,2000年にWHO(世界保健機関)が歯科医療の将来像予測を発表しました.それには,従来からの充填,補綴,抜歯の処置が減少し,近未来では,歯周治療,歯内療法,矯正治療など複雑な高度な技術を要する治療となり,遠未来には,予防サービスが歯科医療の主流を占めるようになるというものでした.私はWHOの予測が想像以上に早い時期に現実化していくものと思います.それゆえに,未来へのチェアサイドでは,そのスピードに対応していくためには,口腔内科医的な歯科医療だと考えています.つまり,新しい発想での「検査法」と「診断法」の知識と技術がチェアサイドに必要となります.現在の日々の臨床では,う蝕・歯周病の検査というと,探針(プローブ)によるう窩と歯肉溝(ポケット)の深さの確認と骨吸収度判定のためのXray診であります.

一方では,投薬による治療というと,急性症状や抜歯による術後疼痛のための消炎鎮痛剤,あるいは感染予防のための抗生物質の投与であります.しかしこれらの検査・投薬法全てが,必ずしも科学的なデーターに基づくものとはいえません.それゆえ,近未来には必要な検査技術は遺伝子診断であり,さらにこれまでチェアサイドで克服できなかった難治性のう蝕,歯周病の発症と病態を分子レベルで解明し,投薬によって治療,予防をされていくものと思います.歯科医師は口腔外科医と口腔内科医の両面を備える時代が到来したわけです図1.特に近年,普及したバイオフィルムの概念が難知性のう蝕・歯周病の解明と治療法のキーになってきました.

 それでは,5回の連載でバイオフィルム感染症としてのう蝕・歯周病を口腔内科医的発想で,総論としてバイオフィルムの概念を,各論としてバイオフィルム治療法をご紹介致します.

1.普及するバイオフィルムの概念

海の向こうのアメリカでは,バイオフィルム感染症に対する医療費が年間10億ドルを優に超えているとも言われています.現在,バイオフィルム感染症は,様々な分野における研究者の研究対象として重要視されており,社会的な問題へと広がりつつあります.

一方,私達の身近では,最近のテレビ画面から,歯磨き粉などのコマシャールで゛歯垢゛すなわちデンタルプラークという言葉より,バイオフィルムという言葉を頻繁に見るようになってきたのではないでしょうか.しかし,日本の歯科界において,彗星のごとく登場した「バイオフィルム」の歴史はまだ浅く,歯科大学でも,バイオフィルムという言葉が日常の臨床で頻繁に使われているわけではありません.しかし,私は学生の講義では ,積極的にバイオフィルムの言葉を用いています.その理由には,バイオフィルムの概念が近い将来,歯科医学教育にさらに国民に定着していくものだと思うからです.

 2.「バイオフィルム」とは何なのでしょうか?

皆さんはバイオフィルムを日常生活の中でも,バイオフィルムを見たり,感じたりしたことがあるはずです.それは,川底の石の表面,観賞魚の水槽,調理場の流し口,下水管表面,風呂場の浴槽などに見る事ができます.そうです,あの,ぬめっとした水垢のようなもの,それがバイオフィルムなのです.これらは,バイ菌の固まりでもあります.また,バイオフィルムは,医療界においては,胃カメラのカテーテルや,チューブ,ペースメーカー,人工弁,避妊リング,人工関節,コンタクトレンズなどの表面にバイオフィルムの形成が観察され,それに伴った感染症が報告されています.

2 バイオフィルムは細菌の集合体

バイオフィルムの基本的な概念とは,複数の細菌の集合体であり,細菌の生活様式のことを表しています図2).その生活様式とは,細菌が自己の生息にとって不利な環境におかれた場合に自己の周囲にグリコカリックス,デキストラン,グルカンなどといった多糖体などを産生し,フィルムつまり膜様のものを形成します.不思議なことに,バイオフィルム内は,多数の細菌が3次元的に階層化し,細菌の代謝産物,酸素分圧,pH,栄養素が偏って分布しています図3).つまり,細菌にとっては極めて住みにくい環境なのです.それでも細菌はバイオフィルムを形成して,外界から受ける免疫細胞や抗菌物質の攻撃から身を守るのです.バイオフィルムは細菌にとってバリアのようなものなのです(

3 バイオフィルム内の状態

図4 バイオフィルムはてごわい

1996年にカリフォルニア州モントレーで開催された国際歯科生物学会のメインシンポジウムのタイトルが「バイオフィルム」で,座長はCosterton博士でした.このテーマが歯科界に取り入れたことは世界で初のことであったと思います.日本からは数名の出席者で私もその一人で初めてバイオフィルムと出会った瞬間でもありました.さらに,1999年のScienceという論文に,Costerton博士がバイオフィルム感染症としての疾患を発表されました.それには,慢性気道感染症,亜急性心内膜炎,細菌性前立腺炎,慢性骨髄炎,壊死性の筋膜炎,類鼻疽,血管や尿路系でのカテーテル「留置」によって起こる種々の細菌感染症があげられておりました.さらに,興味深いことに,う蝕,歯周病がバイオフィルム感染症であるとも紹介されました(表1

この発表を機に,バイオフィルムの概念が全世界の歯科界に急速に普及していったのです.Scienceの発表から今日まで僅か6年なのです.

            表1


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