研究講座
う蝕と歯周病の予防的治療B
国立保健医療科学院口腔保健部
花田信弘
バイオフィルムの物理的・機械的除去
バイオフィルム除去の戦略
歯の表面に形成されたバイオフィルムを除去するためには,少なくとも3つの異なる方法が考えられます.一つは歯磨きに代表される物理的・機械的除去方法です.この方法が安価・安全で最も効果的な方法だとされています.2つめは,抗生物質の全身投与(内服)によって体液中の抗生物質濃度を上昇させてバイオフィルムを除去する化学療法です.歯肉溝浸出液の抗生物質濃度は血液中とほぼ同じと考えられますから,多くの細菌は死滅します.3つめは抗生物質や殺菌消毒剤の局所塗布によってバイオフィルムを除去する方法です.
化学療法や殺菌消毒剤局所塗布の問題点
感染症対策は化学療法とワクチン療法です.う蝕と歯周病が感染症であれば,抗生物質による化学療法と唾液抗体の産生によるワクチン療法をまず最初に考えるべきでしょう.たしかに抗生物質の全身投与(内服)によって体液中の抗生物質濃度を上昇させて数日かけてバイオフィルムを除去する化学療法が最も強力で簡便な方法ですが,問題も多く,う蝕と歯周病の予防的治療には使われていません.化学療法の最大の問題は菌交代現象です.口腔と腸管には常在菌がいますから,化学療法によって常在菌が減り,抗生物質に感受性のない真菌(カンジダなど)が増殖するのです.
また,一般にバイオフィルムには薬剤が浸透しないため,バイオフィルムの内部の細菌群は薬剤抵抗性を示します(図).抗生物質と同様に抗体もバイオフィルム中に浸透できませんから,虫歯ワクチン療法や歯周病ワクチン療法の実用化は,不可能ではありませんがきわめて困難だと考えられます.
図 バイオフィルムと抗生物質,抗体の関係:抗生物質(X印)と抗体(Y印)はバイオフィルムに浸透しないのでバイオフィルム中の細菌は攻撃されない(文献1から引用).
バイオフィルムの内部では細菌間で遺伝子交換が行われているので単独の抗生物質では,その薬に対する耐性をすぐに菌が獲得してしまいます.そこで,バイオフィルムに対しては複数の抗生物質を併用するか,耐性菌を生じにくい殺菌消毒剤の外用塗布をすることが必要です.さらに化学療法には問題点があります.バイオフィルムの中の細菌は浮遊細菌の状態と比較して代謝活性が低下しており薬剤感受性が低くなっています.したがって,化学療法ではバイオフィルムよりも浮遊細菌に効果が現れます.そのためにバイオフィルムを形成しやすい細菌が増加するという皮肉な結果さえ予想されます.口腔バイオフィルム感染症の化学療法を実施する条件として,バイオフィルムの可能な限りの減量と浮遊細菌の状態にコンデイショニングを行っておく事が前提となります.すなわち薬剤感受性が低いバイオフィルムを物理的・機械的に破壊して薬剤感受性の高い浮遊細菌の状態にすることで,使用薬剤の効果を増加させることが,化学療法の前処置として求められます.
細菌はその生活環境に適応するために少しずつ変化します.現代社会では抗生物質が人間だけでなく食品にする魚や動物にまで広く使われるため,それらに共生している細菌は常に抗生物質にさらされています.通常の細菌は抗生物質で死滅しますが,抗生物質の薬剤効果に抵抗性をもつ細菌も出てきます.たとえば,人体からしばしば検出される黄色ブドウ球菌は,ペニシリンに強い感受性をもっていましたが,常に抗生物質にさらされているうちに一部の菌株がペニシリンを分解する酵素を出すようになり,ペニシリンが効かなくなりました.そこで今度は,分解酵素に耐性を示す別のペニシリンが開発されましたが,黄色ブドウ球菌は数年後にはこれにも適応し,改良型ペニシリンまで無効になってしまいました.ほかにも多くの細菌が,さまざまな方法で抗生物質への耐性をもつようになりました.抗生物質に耐性のある細菌を発生させないためには,抗生物質による化学療法は本当に必要なときだけに使い,効果が期待できない疾患には使わないことが大切です.
抗生物質の問題点を羅列しましたが,抗生物質は安全性に優れています.その毒性は選択毒性(selective toxicity)といって細菌にだけ毒性を発揮して,宿主には無害です.この選択毒性は化学療法の基本原理になっています.これに対して殺菌消毒剤は抗生物質よりも即効性があるので使いやすいですが,選択毒性ではなく細胞に対して普遍的な毒性を示すので用法・用量を間違えると人に重篤な副作用が現れます.
以上述べたことから.現実的な予防的治療の選択肢はバイオフィルムの物理的・機械的除去だということがわかります.
バイオフィルムの染色
バイオフィルムの物理的・機械的破壊に先だってバイオフィルム検出が必要です.バイオフィルムの検出には,色素で染色する方法が一般的です.バイオフィルムの特性を考慮して確実に染色して視覚化することが,物理的・機械的破壊の大変重要なステップになります.一般的には簡易防湿を施し,エアーシリンジで唾液を乾燥させたうえ,潤沢な量の染色ゲルでバイオフィルムを染め出します.防湿を怠ると染色ゲルが唾液に希釈され,必要な濃度の色素がバイオフィルムに浸透するために必要な時間接触できなくなってしまいます.また非水溶性グルカンは染色性が悪く長時間かけないと染色されません.
ハンドクリーニング
様々な口腔バイオフィルムの機械的破壊・除去法がありますが,大きく分けてハンドクリーニング,PMTC,エアーアブリージョンの3つのカテゴリーに分けられます.診療室ではこれらを効率良く組み合わせてバイオフィルムを除去しています.
さらに,歯ブラシ,補助的清掃用具を用いて歯間部,隣接面,歯肉溝,歯周ポケット,舌背など,軟組織と歯牙周辺のバイオフィルムを除去します.舌背はバイオフィルム細菌のリザ−バーであるため,歯面同様に清掃が必要です.舌背の清掃では,舌ブラシ,舌へらなどを用いて微温湯などで,十分舌背を湿潤させてから除去を開始します.ガーゼ,ワッテなどで舌尖を保持し,患者には力を抜くよう指示します.舌を上下に振動させながら前方に引き出しへらを強く圧接して短いストロークで除去すると,嘔吐反射が起きにくくなります.
PMTCと超音波スケーラー
PMTCは,歯面のバイオフィルム除去と粗 糙な歯面の滑沢化を目的としています.
歯周組織には超音波スケーラーによるポケット内のディプラーキングを行います.
エアーアブリージョン
修復物の間隙,などのバイオフィルム除去に優れています.噴射される研磨粒子による“表面荒れ“の問題が解決されれば,時間効率がよく除去効果も優れた方法です.
バイオフィルムの破壊過程に共通して言えることは,乾燥した状態で行ってはならないことです.バイオフィルムは,多糖類,生体由来蛋白質,菌体,酵素,毒素など様々な有機分子などから構成されていますが,これらの分子は互いに親和性が強く,破壊しても放置すれば会合して再生の原因となってしま います.水分子が中に入ることで成分が希釈,撹拌されます.確実な除去のコツは,処置部位やブラシなどを十分湿潤させておき,バイオフィルムの成分を水層に移行,溶解させながら細菌内毒素(LPS)を主体とする起炎物質,デブリスなどを徹底して洗浄,除去することが大切です.
また,バイオフィルムの破壊,除去には研 磨粒子の存在が効率的で不可欠です.
しかし研磨材使用の是非について見解が分かれています.これは研摩材の性能が悪いために起こる議論であり,問題の本質は,エナメル質,セメント質,補綴物を傷つけないものが十分供給されていない事です.研 磨粒子の荒さをRDA番号によって使い分けています.しかしバイオフィルムを破壊でき,かつ歯牙硬組織より硬度の低く安全な天然素材の開発が望まれます.診療室では,ただちにクリーニング処置が行えるように,関連用具をユニット周辺に余分に配置しておくシステム作りも大切です.
文献
Costerton JW, Stewart PS, Greenberg EP.
Bacterial biofilms: a common cause of persistent infections.
Science. 1999 May 21;284(5418):1318-22.