研究講座
う蝕と歯周病の予防的治療A
国立保健医療科学院口腔保健部
花田信弘
プラークから「バイオフィルム」へ
ペリクルのタンパク質のレセプターに付着してコロニーをつくり始めるのが初期定着菌群(Early Colonizers)と呼ばれる特定の口腔の常在菌です.具体的には,Streptococcus mitis, Streptococcus oralis,Streptococcus gordonii, Streprococcus sanguis(S. sanguinis)が,口腔常在菌の中の初期定着菌群に該当します.また,ヒト口腔粘膜細胞の物質をレセプターとしてアドへジンが存在する細菌が本来の常在菌です.S. mitis,S. oralisは歯が生える前の乳児からも高頻度で検出されるので,この2つの菌が本来の口腔常在菌だと考えられます.なお,初期定着菌群はペリクルの表面で増殖しますが,その際にペリクルはそれぞれの細菌の栄養源になっていると考えられています.初期付着菌群には無害な細菌が多いので,口腔内の優勢菌がつねに初期付着菌群であることが望まれます.予防歯科の立場で言えば,毎日の歯磨き,歯間部清掃で初期定着菌群の健全な育成を図り,歯周病菌など後期定着菌群(Late Colonizers)を多く含む第三ステージへ移行させないことが大切です(図1).
図1 毎日の歯磨き,歯間部清掃でペリクルに付着する初期定着菌群の育成を図り,歯周病菌など後期定着菌群(Late Colonizers)を増殖させないことが大切.
第三ステージ:後期定着菌群の出現
初期定着菌群によるコロニーが歯面に形成されると,ペリクルは隠れて見えなくなってきます.次に,初期定着菌群の細菌表面の表層タンパク質をレセプターとして,それに対するアドヘジンを持つ細菌群が増殖します.すると次から次にレセプターとアドヘジンの関係で理路整然と細菌が定着・増殖していきます(図2).このようにして,第三ステージでは後期定着菌群によるコロニーが出来上がります.口腔では紡錘菌フゾバクテリウム(Fusobacterium nucleatum)がこの中心的な役割果たしています.
これらの後期定着菌群は初期定着菌群の代謝産物を利用してさらに代謝を続けると同時に,自分自身の代謝産物を産生し,この代謝産物を他の細菌が順に利用する関係になります.図2の上部に記載されている,A. actinomycetemcomitans, P. intermedia, P. gingivalis, T. denticolaは代表的な歯周病菌です.歯周病菌は歯を磨かないと増殖して出現する細菌であることがわかります.
歯周病菌の一つであるP. gingivalisは,はこの菌だけの実験的な純培養では歯面にバイオフィルムを形成せず,初期定着菌群として歯の表面のペリクル上でコロニーをつくるStreptococcus gordoniiに寄生する形で独自のバイオフィルムを形成し増殖することが判明しています(図3).
図2 歯面のバイオフィルム:歯の表面には唾液成分に由来するペリクルが形成されていて,ペリクルに親和性のある特定のレンサ球菌が定着する.歯周病菌は初期定着群(Early Colonizers)の後からバイオフィルムを形成するので後期定着菌群(Late Colonizers)である1).
P. gingivalisが実験室の純培養ではバイオフィルムを形成せず,Streptococcus gordoniiのバイオフィルムに寄生する形でバイオフィルムを形成し増殖するということは,歯周病対策で予防的に排除するべきものが歯肉縁下プラークの細菌(P. gingivalis)だけではなく,歯肉縁上プラークの細菌(S. gordonii)でもある可能性を示しています.また,S. gordoniiは血小板との結合が分子レベルで明らかになっており,循環器疾患との関連が疑われています.しかし,S. gordoniiは,ミュータンスレンサ球菌(S. mutans)と歯面で競合してミュータンスレンサ球菌の増殖を妨害しながら歯面に定着するというヒトのう蝕予防にとって都合の性質も持っています2).
図3 歯面のバイオフィルム形成におけるS. gordoniiとP. gingivalisの関係を示す模式図.
う蝕を引き起こす ミュータンスレンサ球菌の初期付着因子であるPAc(AgI/II,Pともいいます)は,唾液中のagglutinin glycoprotein(SAGまたはgp340)をレセプターとしています3).またPAcは他の細菌の表層にある物質と結合します.おそらく,初期のプラークの表面にコロニーをつくって定着し,砂糖をグルカンに転換しながら,第四ステージへと進んでいくのだと考えられます.ですからミュータンスレンサ球菌がコロニーを作らないように歯磨きは毎日行わなければなりません.
従来のデンタルプラークの説明はここで終わるようです.このあと第四ステージで述べる粘着性多糖体すなわち‘スライム’あるいは‘バイオフィルム’の形成が始まりますが,この説明が省略されてきました.歯磨きで除去可能な第三ステージまでしか細菌学的に紹介されていませんでした.ですから,数日でできるプラークのあとはいきなり1年後の歯石の説明へと飛んでしまいます.細菌が死んで1年近くかけて石灰化がすすみ,歯石化するまでの間に第三ステージから第四ステージへの変化が始まりますが,この期間の口腔衛生処置を省略したままで歯科衛生士は何もしなかったのです.歯石を除石するのが歯科衛生士の仕事だと考えたからです.しかし,実際の歯の表面ではこのあと,大きな出来事,つまり第四ステージの‘スライム’形成が始まります.
第四ステージ:プラークからバイオフィルムへ
粘着性多糖体すなわち‘スライム’の形成
バイオフィルム細菌は細胞外高分子物質である粘着性多糖体を合成する力があります.粘着性多糖体が形成されるとデンタルプラークはぬるりとした‘スライム’になります.ぬるりとした‘スライム’の中では初期定着菌群と後期定着菌群が結合し,歯の表面にのりができたように細菌が接着しています.さらに,これらの多糖体は微量栄養素を捕捉し,細菌を洗口剤や歯磨剤に含まれている殺菌・消毒剤の攻撃から保護します.この粘着性多糖体すなわちグリコカリックスは,医学領域のバイオフィルムの基本構造です.グリコカリックスは細菌の付着を容易にするばかりでなく,微量栄養素を唾液から捕捉し濃縮する作用を行います.グリコカリックスが形成された第四ステージ以降は,歯ブラシでは歯が立たず,これを除去するためにはPMTCの機械やスケーラーが必要になります.
第五ステージ:バイオフィルムの成熟から歯石の形成へ
‘スライム’の形成により,歯の特定の部位から移動しなくなった細菌群はそのまま何年でも生き続けます.成熟しているバイオフィルムは歯の表面上の生物組織のようになります.それぞれが異なる微生物種から構成されているので,複雑で,代謝的に協同的な小宇宙(ミクロコスモス)です.異なる菌種の細菌がバイオフィルムの中で親密に生活し,お互いに助け合って,食糧を融通し合いながら殺菌・消毒剤の攻撃や抗生物質に抵抗していきます.ある菌種が産生する毒性のある排泄物をその隣で生きている細菌が処理してしまうこともあるでしょう.ある菌種は仮死状態になって蘇生する日を待っていますが,通常の細胞分裂によって独自の速度で広がることもできます.また定期的に細菌を放出して別の歯にコロニーを作ります.バイオフィルムの中で遺伝子交換が起こり,薬物耐性遺伝子が異なる菌種に拡散することも知られています.また,バイオフィルムが成熟して厚みを増すにつれて,細菌の中にはバイオフィルムから剥がれ落ちるものが出てきます.一部は石灰化して歯石になりますが,バイオフィルムが歯石になるまでのメカニズムの核心部分は残念ながらわかっていません.歯石をつくる特別な微生物がいるのかもしれません.
文献
1)Kolenbrander PE, Andersen RN, Blehert DS, Egland PG, Foster JS, Palmer RJ Jr. Communication among oral bacteria. Microbiol Mol Biol Rev. 2002 66: 486-505.
2)Wang BY, Kuramitsu HK.Interactions between oral bacteria: inhibition of Streptococcus mutans bacteriocin production by Streptococcus gordonii.
Appl Environ Microbiol. 2005 71:354-62.
3)Jakubovics NS, Stromberg N, van Dolleweerd CJ, Kelly CG, Jenkinson HF. Differential binding specificities of oral streptococcal antigen I/II family adhesins for human or bacterial ligands. Mol Microbiol. 2005 55:1591-605.