睡眠時無呼吸症候群における
口腔内装置(スプリント)治療のpitfall
大阪回生病院睡眠医療センター
谷口 充孝
1.はじめに
睡眠時無呼吸症候群(Sleep apnea syndrome,SAS)は,激しいいびきや無呼吸,あえぎ様の呼吸といった睡眠中のイベントと,著しい日中の眠気(Excessive
daytime sleepiness,EDS)や倦怠感,起床時の頭痛などの臨床症状を伴う睡眠関連疾患である.大阪回生病院睡眠医療センターでは約6年間に約8000名の初診患者を診療しているが,約75%がSASおよび疑いのある患者であることからも分かるように,本邦でもその有病率は高い.
SASの治療としては,@保存的療法(側臥位での就寝,減量など)A経鼻的持続陽圧呼吸(Nasal con−tinuous positive airway pressure,CPAP)療法B口腔内装置(Oral appliance,OA)C耳鼻咽喉科的手術(Uvulopalatopharyngoplasty,UPPP)があり,本来は各々の治療のadvantageとdisadvantageが十分に説明され患者および家族と相談した上で治療法が選択されることが必要であるが,本邦では医師が考えている以外の治療法についての説明がなされないままに治療が行なわれていることが多く,また,医師によっては必ずしも適切な治療が患者に施行されているとは言いがたい.結果として治療方法が適切であったかどうかなどを問う医療過誤を争う裁判も生じるようにもなってきたのは睡眠医療の専門医として残念でならない.
2004年4月にSASの治療としてOAが健康保険の適応となったことは,これまで全額自費負担を強いられてきた患者にとって福音であることは間違いない.
しかしながら,医科および歯科においても,どの医療においてもその診療を行うためには医学教育により知識や技術の習得が行われることが必要であるのに,睡眠医学の教育が行われることなくOAが健康保険適応となったことで,OAを提供する企業などからの手軽な情報を主体とした診療が行われるという弊害の恐れが生じている.安易なOA治療が歯科医療の中で行われれば,長期的にみるとOAおよび歯科医療への国民の信頼を失わせる原因にもなりかねない.本稿が真摯に患者のために睡眠診療に関わろうとする歯科医師にとって参考になれば幸いである.
2.SASに関する用語
睡眠時無呼吸症候群(SAS)に関する用語を整理したい.SASには@上気道に閉塞があり呼吸努力があるにも関らず睡眠中に無呼吸を生じる閉塞型睡眠時無呼吸症候群(Obstructive sleep apnea syndrome,OSAS)と脳血管障害など中枢神経系の障害や心不全に伴うCheyene−Stokes呼吸などを含めた中枢型睡眠時無呼吸症候群(Central sleep apnea syndrome,CSAS)に分けられる.しかしながら,CSASを生じる病態は重篤な身体疾患に伴うことが多く,一般的にSASという用語を用いた場合,OSASを示すことが多い.また,上気道の完全な閉塞である無呼吸と不完全な閉塞により生じる低呼吸の病的意義は同じであることから,閉塞型睡眠時無呼吸/低呼吸症候群(Obstructive
sleep apnea/hypopnea syndrome,OSAHS)という用語が使用されることもある
1).また,SASは症候群の一つであり,その診断は臨床症状+客観的所見によってなされるが,Clinicalなものだけでなく客観的所見のみがposltiveであるsubclinicalなものを含めて睡眠呼吸障害という用語が主として研究的には用いられることもある.
3.臨床的重要性
SASの米国での有病率は成人男性の4%,女性2%と非常に高く,正確な報告はないものの本邦でもその有病率は高いと考えられている
2).睡眠時無呼吸/低呼吸からの回復期に出現する覚醒反応によって睡眠は断片化し,EDSを生じるだけでなく,高血圧,虚血性心疾患,脳血管障害との関連も報告され,肥満の中高年男性に多く他の生活習慣病も合併することも多い.そして,働き盛りの患者が多く健康管理上も治療を必要とする.また,原発性いびきも健康に対する影響があるという報告は少ないものの,特に女性にとっては結婚や旅行などでは支障をきたす場合も多く,その支障が大きければ治療の対象となる.後述するが,SASの治療ではCPAPが第一選択とされており,OAやUPPPなどの耳鼻咽喉科的手術は第二選択でしかない.ただし,CPAP機器やマスクの改良などは著しいものの携帯性などの問題は残されており,今後も軽症SASや単純性いびきなどの患者ではOAも治療法の一つとして有用であると考えられる.
4.臨床症状と合併症
重症の典型的なSAS患者では,激しいいびきや睡眠中の無呼吸の指摘とEDSを認め,家族や本人からの問診や身体所見だけで診断できることが多い.その他,睡眠が断片化して浅くなるためなどに生じる夜間のトイレ覚醒(2回以上),激しいいびきによる起床時の咽喉頭痛なども生じることがある.その他,歯ぎしりとの関連も報告されている.肥満男性に多いが,必ずしも肥満であるとは限らず,本邦では30%のSAS患者では非肥満(BMI25kg/u未満)であると報告されている.
SASが臨床的に重要なのは,EDSにより交通事故や産業事故のリスクが増加するという安全管理の問題と高血圧などの心血管系疾患のリスクが増大するという健康管理の問題がある(図1).昨年2月の新幹線居眠り運転事件以降,SASの安全管理上の対策が求められるようになった.この際に不規則な勤務や過労による睡眠不足などによって生じたチェルノブイリ原発事故やアラスカ沖タンカー事故などが,SASによって生じたとマスコミや専門家の誤った認識や誤解を生みかねない表現により,SAS=居眠り事故予備軍であるとの誤認を生じてしまった
3)4)5).職場での安易な安全管理を目的とするSAS検診はSAS患者の受診抑制をおこしかねず,事故のリスクをかえって増大させるという本末転倒になる可能性が欧米では指摘されているにも関わらず,本邦の対応は非常に問題の多い方法を選択してしまった.
図1 OSAHSの臨床的重要性 |
SASでは低酸素血症により頚動脈体を介して交感神経系が亢進,呼吸回復時の覚醒反応などの機序により高血圧が生じると考えられ,複数の大規模スタディでもその関連が報告されている.米国での一般人6600人を対象とした大規模な研究(Sleep heart health study)では,SASは高血圧と関連していることが報告され
6),虚血性心疾患,脳血管障害との関連も示唆されている
7).しかしながら,エビデンスがあるのは高血圧のみであり,虚血性心疾患,脳血管障害などについてのエビデンスは不十分である.1998年のHeら
8)のデータから,末治療のSAS患者の死亡率が非常に高いと本邦では半ば信じられ 多くのreviewやホームページに引用されている.この報告は当時非常にセンセーショナルであったため,6日間という異例の短い期間で審査・受理されている.しかしながら,異例の短期間で審査されているため,現在の医学的見地からみると問題が多く,素直にその結論を受け入れられない.例えば報告のSAS患者の平均BMIは37.6±11.0kg/uとコントロール群(32.5kg±7.9kg/u)に比べて,高度の肥満があるため,他の疾患が影響している可能性も大きい.
5.診断
SASは症候群であり,臨床症状と睡眠検査による所見によって診断および評価される(表1)1).
|
診療で最も重要であるのは問診と身体所見であり,そのcllnical impressionをもとに検査がorderされ, 検査結果とともに,その確定診断や重症度の評価,治療へと進んでいくのであるが,睡眠医学の教育は歯科や医科でもほとんどなされていないために,問診や身体所見は軽視されがちである.問診や身体所見などの代わりにEpworth sleepineSS scale(ESS)という眠気の評価尺度を含む質問紙が利用できないかという相談をよく受けるが,こうした質問紙のみで判定することは臨床的には極めて問題がある.睡眠検査としては@無呼吸モニターA終夜睡眠ポリグラフイ(PSG)B
パルスオキシメーターが利用されるが,主として在宅ではパルスオキシメーター,医療機関では無呼吸モニターおよび終夜睡眠PSGが利用される.
a.無呼吸モニター(本邦の保険区分では携帯型PSGに該当)
終夜睡眠PSGは決して簡便で安価な検査ではない.また,臨床的にSASが強く疑われる症例では脳波を含まない呼吸状態,体位(仰臥仏側臥位など),酸素飽和度などによる無呼吸モニターで評価可能な場合も多く,英国胸部疾患学会推奨のScottish Intercollegiate Guidelines Network(SIGN)によるガイドラインでは無呼吸モニターが第一選択とされている
9).S0AS患者は非常に多く,効率的なマンパワーやコストベネフィット,移動困難な患者の評価などを考えると無呼吸モニターの利用価値は高い.なお,無呼吸モニターによる評価では,@臨床症状などを評価し無呼吸モニターの適応について検討する.A解析ソフトによる結果は正確性に乏しいため,raW dataを経験の十分ある技術者によってマニュアル判定する.B使用する装置の特性と限界を知っておく.などを遵守しなければ誤った判断がなされうることも注意しなくてはならない
9).
b.パルスオキシメーター
安価,簡便,非侵襲的な方法であり,中等症以上のSASであれば診断可能である揚合が多い.移動困難な患者などでも使用が容易であり,その臨床的な利用価値は高い.しかしながら,約1/3の症例では見逃されるなどの問題点があるため9)10)11),パルスオキシメーターの結果で否定的であっても臨床症状などからSASが疑われるならば,終夜睡眠PSGや無呼吸モニターによる評価を必要とする.在宅検診としての利用も進んでいるが,こうした見逃されることが多いことなどの情報が十分に提供されることのない安易な利用は問題がある.
c.終夜睡眠PSG
米国では第一選択のgold standardの睡眠検査であるが,多くの労力を要しその検査費用は高額である.無呼吸モニターでは覚醒反応や睡眠の深さなどの睡眠の