研究講座

生き残り戦略としての医事紛争対処法A 

大阪歯科大学助教授 歯学博士 法学修士

佐久間泰司

 

5.医事紛争になった時に患者の要求する4項目

 医事紛争になった時に患者の要求する項目は次の4つで,この順番で要求します(図1).これを理解して対応することが大切です.決して金銭による慰謝が一番ではないことに注意してください.

 

図1 医事紛争になった時に患者の要求する4項目

        1)健康の回復

        2)謝罪

      3)金銭

        4)再発防止

 

1)健康の回復

具体的な健康被害が生じた時は,この被害からの回復を患者は求めます.智歯抜歯後の口唇感覚麻痺では「とにかくお金はいいから,しびれを治して下さい」と涙を流す患者を多く診てきました.

健康被害が回復するとトラブルそのものが消失する例も少なくありません.早期にしかるべき医療機関に紹介するなど,対策が求められます.

2)謝罪

台風で電車が止まると駅員は謝罪のアナウンスをします.電車を止めたのは台風であり,電鉄会社も減収などの被害者であるにもかかわらず,駅員は謝罪のアナウンスをします.「わが○○電車も今回の台風では被害者です」などとアナウンスする駅はなく「台風で電車が止まり,乗客の皆様にはご迷惑をおかけします」と謝罪するのみです.

これは一般に被害者には「誰かに謝ってもらわないと承服できない」という感情があるからですが,患者も同じように考えます.歯科医師に説明を求めた時に,歯科医師が謝罪をしないで言いわけに終始した,と憤慨する患者は多くいます.謝罪すべきかについては微妙な問題が絡むので注意して対応します.

3)金銭

トラブルの解決は,最後には金銭による慰謝の話になります.一般的には患者は健康の回復や謝罪を優先して求めますが,事例や患者の性格によっては金銭による慰謝を優先して求める場合があります.患者の要求する金額は,一般的な賠償金相場の10倍以上となります.例えば交通事故で顔面の感覚麻痺が起こった場合の後遺障害の慰謝料は32万円(自賠責)ですが,抜歯後に口唇の感覚麻痺が起こった場合,32万円で納得する患者はなかなかいません.

4)再発防止

死亡事故など大きな健康被害が生じた時は,患者が同様の事故の再発防止を求めて業務改善を強硬に求めることがあります.歯科では稀ですが,智歯抜歯後の感覚麻痺などでは再発防止誓約の一筆を書いて欲しいと言われることがあります.

 

6.患者応対に際して注意する点

紛争解決時に大切なことは,患者との応対に細心の注意を払い,歯科医院が一丸となって適切な対応を行うことです.患者に対する応対は院長だけがするのではありません.勤務医も,歯科衛生士も,歯科助手も,受付も,患者とは応対します.したがって従業員教育もきちんと行っておかなければなりません.患者が院長に説明してもらおうと電話をしてきた時に,受付が「院長は治療中です」といって用件も聞かずに取り次がなかったら患者はどう感じるでしょう.トラブルや紛争を自ら作り出しているだけではないでしょうか.大きな医事紛争も,実は最初の応対さえ怠りなくしておけばここまで大きな紛争にはならなかった,という例がよく見られます.患者応対は歯科医院全体で取り組まなければ意味がありません.応対に際しては,次のような点に注意します(図2)

 

図2 患者応対に際して注意する点

 1)苦情患者を不快にさせない

2)苦情患者を優先して対応する

3)話をよく聞き復唱する

4)患者の苦悩に共感する

5)苦情患者との応対は院長室で行う

6)応対では専門用語を避ける

7)その患者は大勢のなかの1人ではない

8)患者の家族など,患者の周囲にも気配りをする

 

1)苦情患者を不快にさせない

 患者が苦情を言ってきたら,ついつい歯科医院側は身構えてしまいます.苦情が全くの患者の誤解であれば,「つまらないクレームをつける,困った患者」とレッテルを張り,従業員も態度に出てしまうこともあります.

しかし患者本人は「ここの歯科医院でとんでもない目に遭わされた」と信じている善良な市民で,決して「クレーム患者」という職業の人ではないのです(中にはクレーマーを趣味や仕事にしている人もいますが,ごく一部です).先生方も歯科材料店に苦情を言うことがあるでしょうが,その時にクレーマー扱いされて敵対的な態度を取られたら腹が立つでしょう.相手の気持ちを十分理解し,敵対するような態度を絶対に見せないように気をつけなければなりません.「こんなに歯のことで迷惑をかけておいてあの対応はなんだ.俺は絶対にこの歯科医院を許さない」と思われたら,そこから新たな紛争が始まってしまいます.

2)苦情患者を優先して対応する

 クレームをつけてきた患者や紛争中の患者は待たせないようにします.患者はそうでなくても神経が高ぶっており,不愉快な気持ちでいます.不愉快に思っている患者を電話であれ直接であれ待たせることは,よけいに患者の怒りを増幅させることになります.待たせる方は短い時間でも,待たされる方は長く感じるものです.クレーム患者への応対は最優先で行い,もし待たせてしまったら待たせたことを謝罪します.患者からの苦情電話があれば,すぐに院長に取り次ぐシステムを作っておきます.受付が用件も聞かずに勝手に「院長は今忙しいので後からおかけください」と対応すれば,患者は自分を軽く見られたと思われて余計に怒ります.実際に忙しくて手が離せないときは,「院長に聞きましたが,いまどうしても手の離せられない治療中です.申し訳ありません.折り返し30分以内にお電話いたしますので,ご連絡先をお教えください」などと対応します.

3)話をよく聞き復唱する

 苦情患者との応対で大切なことは,とにかく相手の話をよく聞くことです(傾聴する).それは紛争の本質を把握することにも不可欠ですが,自分の苦悩を相手が理解してくれれば気持ちが和らぐという側面もあるからです(これは非常に重要なことです).苦情患者が納得するまで話をすれば,紛争解決の仕事の8割以上は終わったといっても過言ではないでしょう.苦情患者は,応対に出た歯科医師が自分の言うことを真剣に理解してくれるかどうかをよくみています.医療事故が起こると,歯科医師はついつい自分の歯科医院のことが気になってしまいますが,患者はそのような歯科医師の心の中までを見透かしています.逆に患者の気持ちになって対応すれば,そのことも患者はすぐに察するものです.話を聞く際は,相手の主張の中で重要と思われることを復唱します.この復唱により問題点が整理できますし,言ったことをきちんと理解しているというサインを相手に送ることになり患者も安心します.

また患者が喋っているのに,話の腰を折って喋らないようにします.患者が誤解しているような場合,ついつい「いやそれはですね・・・」と説明したくなりますが,ここはぐっと堪えて最後まで話を聞き,それから自分の考えを表明します.

4)患者の苦悩に共感する

患者は自分の苦悩を歯科医師に理解して欲しいのですから,まず苦悩は共感して肯定することが大切です.ほとんどのサービス業では客がクレームをつけてきた場合,「おっしゃることはもっともです.お困りですね」と相手の苦悩を理解した上で,「でもお客様・・・」と反論します.頭ごなしに「それは誤解です」ということはありません.これは医療の現場でも同じです.患者が苦情を言っているときは,聞かされる側も不愉快ですが,言っている側も不愉快なのです.不愉快な気持ちでいる相手を不愉快にさせる言動は解決には結びつきません.厳に慎むべきです.患者の主張が間違ったもので到底承服できない時でも,相手の苦悩に共感した上で,間違った理由を説明します.

苦悩に共感することと謝罪することは違いますので,そこは区別しないとなりません.「おっしゃることはもっともです.お困りですね」と「おっしゃることはもっともです.すいません」では意味が違います.前者は共感,後者は謝罪です.謝罪をすると責任を認めたことになります.

5)苦情患者との応対は院長室で行う

受付の立ち話で苦情を受けると,その話は他の患者に筒抜けとなり,大声で抗議でもされれば決して良い影響を医院に与えません.立ち話での対応はじっくりと話を聞くという態度を見せたことにはなりませんし,実際にじっくりとは聞けません.しかも苦情患者にしてみれば軽く扱われたという印象を与えることがあり,よけいに怒りを増やしてしまうことになりかねません.苦情患者との応対は院長室や応接室などで椅子に座って行います.そのような個室がないのならすぐに作っておくべきです.従業員には,院長室に通すにしてもお茶を出すにしても,相手に不快感を与えないように特に教育しておきます.どのようなお客様であっても笑顔でお茶を出すのは一般企業では常識です.また院長室は整理整頓をして綺麗にしておきます.衣服が脱ぎ捨ててあったり,机の上に書籍が山のように積んであったりしては,「汚い院長室だな.院長室の整頓すら出来ないのなら,診療も手抜きをされているに違いない」などと変な方向に話が飛びます.患者が異性の場合,当然,院長室で2人だけで応対しないようにします.患者と同性のスタッフを同席させます. 

 

患者の苦悩に共感する応対例

普通の応対例

「昨日作ってもらった入れ歯が痛くて噛めない」

「新しい入れ歯は実際に使って初めてわかる当りがあるから仕方がないですよ」

「作り方が下手で,合っていないんだろ」

「そんなことは絶対にありません!痛いところを削って調整しましょう」

「削るって,やっぱり合っていないんだ.前の入れ歯のほうが良かったよ」

よい応対例

「昨日作ってもらった入れ歯が痛くて噛めない」

「痛くて噛めませんでしたか、それはお困りでしたね.お食事も大変だったでしょう」

「そうだよ,牛乳しか飲んでいない」

「新しい入れ歯だから,すぐに硬いものもバリバリ食べられると思われたのですね」

「そうだよ.なんせ新しいんだからね.そのために作り直したんだし」

「それはご不自由でしたね.きのうもご説明したと思いますが,新しい入れ歯は実際

 に使って初めてわかる当りがあるのです」

「そうか,そういうものですか.それは失礼なことを言いました」

「痛いところを削って調整しましょう」

「お願いします」

                


<<次ページへ続く>>