安全な治療のためにE
ロンドン大学客員教授・松本歯科大学教授
             笠原 浩
    救急蘇生法
一心肺蘇生のABCD一


1.患者さんに急変が生じたら……

(1)あわてず落ち着いて
 診療中に患者さんの顔色が急変した,嘔吐した,あるいは激烈な全身痙攣が始まった‥・‥・

だれだって驚愕するに違いないでしょう.

しかし,呼吸が完全に停止していたとしても,3分間の余裕はあります.

全身痙攣もからだが動いている間は無理に抑制する必要はありません.

まずは落ち着くように深呼吸でもして,患者さんの状態をよく観察しましょう.

(2)意識レベルを確認する


 @患者さんの手を握って「わたしの手をぎゅっと握って」と命じます.

握り返してくれるようならば,顔色は悪くても,まずは一安心してください.

気分が悪そうならば,チェアを倒して頭部を心臓と同じ高さにし,衣服を緩めて,ゆっくりと深呼吸をさせます
(非常に速い呼吸をしているようなら,過換気症候群の疑いがあります).

酸素があれば吸わせながら「じきによくなりますよ」と暗示誘導してください.

通常はこれだけで,まもなく元どおりに回復するはずです.

 Aしかし「目を開いてごらん」と大きな声で呼びかけても反応が認められない場合(意識喪失状態)には,
生命の危険が差し迫っている可能性があります.

ただちに後述する心肺蘇生のABCDを開始してください.


(3)患者から目を離してはならない
 

  一般状態異常が生じた患者さんは,完全に回復したと確信が得られるまで,絶対に目を離してはなりま
せん.

応援を求める場合にも,そばに付き添ったままで大声でだれかを呼んでください.

2.まず気道の確保(A=Airway)

(1)頭部後屈と下顎挙上

 意識喪失状態では舌根が沈下して,気道を閉塞します.

水平位からヘッドレストを動かして患者さんの頭部を後屈させ(うまくいかなければ床に寝かせて肩に枕を入れる),下顎前歯をつかんで下顎を上方に引き上げます(図1A,B).

 

(2)口腔内・気道内異物の除去

 口腔内に嘔吐物や血液などの異物があるようならば,吸引(バキュームがなければ自分の口で吸い出す覚悟がほしい.電気掃除機も役に立つ)あるいは指でかき出すなどで除去してください(図2A).

 

 異物が声門付近にはまり込んでしまった場合には,背部叩打法(図2B)やハイムリック法(背後から抱え込むようにして胸壁を両手で圧迫する)がありますが,最後の手段としての輪状甲状靭帯の切開(図2C)が必要となる場合もありえます.

 

3.人工呼吸(B=Breathing)

(1)胸の動きは?
 

 歯科臨床で遭遇する緊急症の大半は,痛みやストレスによる神経性ショックや迷走神経反射による急激な血圧低下ですから,意識喪失に伴う気道閉塞さえ切り抜けば,それだけでたいていはまもなく回復します.

 しかし,前項の処置を行っても,はっきりした呼吸運動(胸の動き)が確認できなければ,ただちに人工呼吸を開始しなければなりません.

(2)自分の息を吹き込む

 さまざまな人工呼吸法がありますが,特別な訓練を受けている人以外では,口対日人工呼吸(mouth to mouth)がもっとも確実で効果的な方法です.

マスクとバッグを用いた蘇生器などは,初心者がうまく使いこなせるものではありません.

 頭部後屈と下顎挙上による気道確保を行ったうえで,患者さんの鼻孔を塞ぎ,口に自分の口を密着させて,呼吸を吹き込んでください(図3A〜D).


 口を離せば,胸壁の弾力で自然に呼気が出てきますから,1分間に10数回繰り返します.上腹部を横目で観察していれば,胸壁が上下することを確認できます.

4.心マッサージ(C=Circuration)

(1)頸動脈に触れてみる

 最初に5回息を吹き込んだら,頚動脈を触診してみてください(図4A).

 拍動を触知できなければ,心マッサージを開始しなければなりません.

(2)胸骨圧迫心マッサージ

 患者さんの胸の中央にある胸骨の下半に,両手の手掌を重ねて置き,体重を掛けるようにして,毎分鮒回の割で胸骨を圧迫します.

胸骨以外の胸壁に触れると肋骨骨折を起しますから注意してください(図4B,C).

 

(3)人工呼吸も続けながら……

15回胸を押して2回息を吹き込むペースで続けます.

声を掛け合ってタイミングを合わせてください.

一人しかいないときにはとても大変ですが,自然の脈拍が戻るか,応援者が交代してくれるまでは,心肺蘇生のABCを中断してはなりません.


5.応援の要請(D=Doctor)

 心マッサージが必要となるような状況(単なる一次ショックではなく,心筋梗塞による心原性ショックなどの重篤な事態が想定される)では,より高次の救急体制(電気ショックによる除細動など)に早急に移行しなければなりません.

 応援してくれる医療機関の緊急連絡先をスタッフの見やすい場所に掲示しておくべきです.

そうした備えがないとなれば,119番に通報して救急車の出動を求めるしかありません.

6.救急薬品の投与(D=Drugs)

(1)ABCが最優先
 

 意識喪失状態の患者に対しては,心肺蘇生のABCによる呼吸と循環の維持が最優先です.

これだけでも確実に行われていれば,応援が到着するまで生命を持ちこたえることが可能だからです.

 初期の大切な時間をクスリを探すためやその準備などで失ってはなりません.

(2)クスリは病態を確認してから

 呼吸と循環が維持されていることが確認できたら,どうしてそのような事態が生じたのかを考えて,その病態に応じた救急薬剤を投与します.

 たとえば,血圧が著しく低下しているのならば昇圧薬,アレルギーの関与が疑われるならば副腎皮質ステロイドなどと,それぞれの症状をしっかりと把握してクスリを使うことが大切です.

(3)静脈内注射が原則

 救急蘇生の目的での薬剤投与は,即効性を考えて静脈内注射が原則ですが,血圧低下で血管が見つからない場合には,とりあえず筋肉内注射(アナフイラキシーに対するエビネフリンなど)でもやむを得ません.

 日常的な歯科臨床では,静脈内注射の機会が少ないでしょうから,ときには手技の練習をしておいてください.

(4)酸素は常に使ってよい


 酸素の用意があれば,常に用いるべきです.他の救急用薬剤のなかには,激しい作用のものもありますので,病態をよく見たうえで使わなければなりませんが,常圧の酸素が問題になるのは,慢性呼吸不全患者の一部(炭酸ガス蓄積で逆に呼吸抑制を起すことがある)だけですから,まずは安心して使えます.

 ただし,気道が確保されていなければ役に立たないことをお忘れなく.

 酸素ボンベは気づかないうちに空になっていることが珍しくありませんから,定期的に点検する必要があります.

また,患者さんに吸わせる前に,自分自身で吸ってみることを習慣づけておいてください.
                   

(次回完結)